(1)昔、男ありけり。……
① 昔、男ありけり。女のえ得まじかりけるを、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でて、いと暗きに来けり。
昔、男がいた。女で、〔男が〕妻にできそうになかった女を、長年求婚しつづけてきたが、やっとのことで盗み出して、たいそう暗いところに来た。
男=[名]
あり=[動]ラ変「あり」用
けり=[助動]過去「けり」止
女=[名]
の=[格助]同格
え=[副]
得=[動]ア下二「得」止
まじかり=[助動]打消推量「まじ」用
ける=[助動]過去「けり」体
を=[格助]動作の対象
年=[名]
を=[格助]動作の対象
経=[動]ハ下二「経」用
て=[接助]単純な接続
よばひわたり=[動]ラ四「よばひわたる」用
ける=[助動]過去「けり」体
を=[接助]単純な接続
からうじて=[副]
盗み出で=[動]ダ下二「盗み出づ」用
て=[接助]単純な接続
いと=[副]
暗き=[形]ク「暗し」体
に=[格助]場所
来=[動]カ変「来」用
けり=[助動]過去「けり」止
② 芥川といふ川を率て行きければ、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ。」となむ男に問ひける。
芥川という川を連れて行くと、〔女は〕草の上に置いてある露を(見て)、「これは何かしら。」と男に尋ねた。
と=[格助]引用
いふ=[動]ハ四「いふ」体
川=[名]
を=[格助]場所
率=[動]ワ上一「率る」用
て=[接助]単純な接続
行き=[動]カ四「行く」用
けれ=[助動]過去「けり」已
ば=[接助]偶然条件
草=[名]
の=[格助]連体修飾格
上=[名]
に=[格助]場所
置き=[動]カ四「置く」用
たり=[助動]存続「たり」用
ける=[助動]過去「けり」体
露=[名]
を=[格助]動作の対象
かれ=[名]
は=[係助]主題の提示
何=[名]
ぞ=[係助]疑問
と=[格助]引用
なむ=[係助]強意(結びの語:ける)
男=[名]
に=[格助]動作の対象
問ひ=[動]ハ四「問ふ」用
ける=[助動]過去「けり」体
③ ゆく先多く、夜も更けにければ、鬼ある所とも知らで、神さへいといみじう鳴り、雨もいたう降りければ、
行く先は遠く、夜も更けてしまったので、鬼がいるところとも知らないで、雷までもがたいそうひどく鳴り、雨もたいへん降ってきたので、
多く=[形]ク「多し」用
夜=[名]
も=[係助]同趣の一つ
更け=[動]カ下二「更く」用
に=[助動]完了「ぬ」用
けれ=[助動]過去「けり」已
ば=[接助]原因・理由
鬼=[名]
ある=[動]ラ変「あり」体
所=[名]
と=[格助]引用
も=[係助]同趣の一つ
知ら=[動]ラ四「知る」未
で=[接助]打消接続
神=[名]
さへ=[副助]添加
いと=[副]
いみじう=[形]シク「いみじ」用・ウ音便
鳴り=[動]ラ四「鳴る」用
雨=[名]
も=[係助]同趣の一つ
いたう=[形]ク「いたし」用・ウ音便
降り=[動]ラ四「降る」用
けれ=[助動]過去「けり」已
ば=[接助]原因・理由
④ あばらなる倉に、女をば奥に押し入れて、男、弓・胡簶を負ひて戸口にをり、
荒れた隙間だらけの倉に、女を奥に押し入れて、男は、弓・胡簶を背負って戸口に立ち、
倉=[名]
に=[格助]場所
女=[名]
を=[格助]動作の対象
ば=[係助]区別
奥=[名]
に=[格助]対象
押し入れ=[動]ラ下二「押し入る」用
て=[接助]単純な接続
男=[名]
弓=[名]
胡簶=[名]
を=[格助]動作の対象
負ひ=[動]ハ四「負ふ」用
て=[接助]単純な接続
戸口=[名]
に=[格助]場所
をり=[動]ラ変「をり」用
⑤ 「はや夜も明けなむ。」と思ひつつゐたりけるに、鬼はや一口に食ひてけり。
荒れた隙間だらけの倉に、女を奥に押し入れて、男は、弓・胡簶を背負って戸口に立ち、「早く夜も明けてほしい。」と思いながらじっと待っていたところ、鬼が早くも〔女を〕一口で食ってしまった。
夜=[名]
も=[係助]同趣の一つ
明け=[動]カ下二「明く」未
なむ=[終助]願望
と=[格助]引用
思ひ=[動]ハ四「思ふ」用
つつ=[接助]動作の並行
ゐ=[動]ワ上一「ゐる」用
たり=[助動]存続「たり」用
ける=[助動]過去「けり」体
に=[接助]単純な接続
鬼=[名]
はや=[副]
一口=[名]
に=[格助]手法
食ひ=[動]ハ四「食ふ」用
て=[助動]完了「つ」用
けり=[助動]過去「けり」止
⑥ 「あなや。」と言ひけれど、神鳴る騒ぎに、え聞かざりけり。
「あれえ。」と言ったけれど、雷が鳴る騒ぎで、聞くことができなかった。
と=[格助]引用
言ひ=[動]ハ四「言ふ」用
けれ=[助動]過去「けり」已
ど=[接助]逆説の確定条件
神=[名]
鳴る=[動]ラ四「鳴る」体
騒ぎ=[名]
に=[格助]原因・理由
え=[副]
聞か=[動]カ四「聞く」未
ざり=[助動]打消「ず」用
けり=[助動]過去「けり」止
⑦ やうやう夜も明けゆくに、見れば率て来し女もなし。
だんだん夜も明けていくので、〔男が倉の中を〕見ると連れてきた女もいない。
夜=[名]
も=[係助]同趣の一つ
明けゆく=[動]カ四「明けゆく」体
に=[接助]順接の確定条件
見れ=[動]マ上一「見る」已
ば=[接助]偶然条件
率=[動]ワ上一「率る」用
て=[接助]単純な接続
来=[動]カ変「来」未
し=[助動]過去「き」体
女=[名]
も=[係助]同趣の一つ
なし=[形]ク「なし」止
⑧ 足ずりをして泣けどもかひなし。
じだんだを踏んで泣くがどうしようもない。
を=[格助]動作の対象
し=[動]サ変「す」用
て=[接助]単純な接続
泣け=[動]カ四「泣く」已
ども=[接助]逆説の確定条件
かひなし=[形]ク「かひなし」止
⑨ 白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて消えなましものを
〔あそこに光るものは〕真珠ですかと何ですかと女が尋ねたとき、露と答えて〔はかない露のように2人で〕消えてしまえばよかったのに。
か=[係助]疑問
何=[名]
ぞ=[係助]疑問
と=[格助]引用
人=[名]
の=[格助]主格
問ひ=[動]ハ四「問ふ」用
し=[助動]過去「き」体
とき=[名]
露=[名]
と=[格助]引用
答へ=[動]ハ下二「答ふ」用
て=[接助]単純な接続
消え=[動]ヤ下二「消ゆ」用
な=[助動]強意「ぬ」未
まし=[助動]反実仮想「まし」体
ものを=[終助]逆説の確定条件