【解説】平泉(『おくのほそ道』より)【中学国語】

おくのほそ道_平泉(中学国語) 中学国語
【原文・現代語訳】平泉(『おくのほそ道』より)【中学国語】
(1)三代の栄耀一睡のうちにして、…… 原文 ①三代の栄耀一睡のうちにして、大門の跡は一里こなたにあり。②秀衡が跡は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。③まづ高館に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。④衣川は和泉が城を巡りて、高館の下にて...

(1)三代の栄耀一睡のうちにして、……

① 三代[1]の栄耀一睡のうちにして、大門[2]の跡は一里こなたにあり。
〔奥州藤原氏の〕三代の栄華も一瞬の夢のあいだのようであって、〔平泉館の〕大門の跡は一里手前にある。

[1] 三代=平安時代後期に東北地方を支配した、藤原清衡・基衡・秀衡の親子三代のこと。
[2] 大門=奥州藤原氏の城である平泉館の正門。

② 秀衡が跡[3]は田野になりて、金鶏山のみ形を残す。
秀衡の館の跡は田や野原になって、金鶏山だけが昔の形をとどめている。

[3] 秀衡が跡=兄源頼朝に追われた義経をかくまった、藤原秀衡の館。平泉館の中心。
人生のはかなさと自然の不変さの対比表現①=「秀衡が跡」と「金鶏山」

③ まづ高館[4]に登れば、北上川、南部より流るる大河なり。
まず〔源義経の館であった〕高館にのぼると、北上川は南部地方から流れてくる大河である。

[4] 高館=源義経が住んだ館。藤原泰衡に攻められた、義経はここで自害した。
人生のはかなさと自然の不変さの対比表現②=「高館」と「北上川」

④ 衣川は和泉が城[5]を巡りて、高館の下にて大河に落ち入る。
衣川は和泉が城を巡って流れ、高館の下で大河(=北上川)に流れ込んでいる。

[5] 和泉が城=藤原秀衡の三男忠衡の居城。

⑤ 泰衡[6]らが旧跡は、衣が関を隔てて南部口[7]をさし固め、えぞ[8]を防ぐと見えたり。
泰衡たちの旧跡は、衣が関を間にはさんで南部地方からの入り口を固めて、夷〔の侵入〕を防いだものと思われる。

[6] 泰衡=藤原泰衡。藤原秀衡の次男で、秀衡の命に背いて義経を攻めた。
[7] 南部口=盛岡を中心とする南部地方への出入り口。
[8] えぞ=かつて、北関東から北海道にかけて住んでいた民族。

⑥ さても、義臣すぐつてこの城にこもり、功名一時の草むらとなる。
それにしても、〔義経は〕忠実な家臣を選んでこの城(=高館)に立てこもり〔戦ったが〕、〔その〕功名も一時のもので〔今は〕草むらとなっている。


⑦ 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」[9]と、
「国は荒廃しても山河は〔昔と変わらずに〕残り、〔廃墟となった〕城も〔今では〕草が青々と茂っている。」と〔杜甫の漢詩を思い出して〕、

[9] 「国破れて山河あり、城春にして草青みたり。」=杜甫の漢詩「春望」からの引用。
人生のはかなさと自然の不変さの対比表現③=「国」と「山河」
[参考]杜甫「春望」
国破山河在(国破れて山河在り)
城春草木深(城春にして草木深し)
感時花濺涙(時に感じては花にも涙を濺ぎ)
恨別鳥驚心(別れを恨みては鳥にも心を驚かす)
烽火連三月(烽火三月に連なり)
家書抵万金(家書万金に抵る)
白頭搔更短(白頭搔けば更に短く)
渾欲不勝簪(渾て簪に勝へざらんと欲す)

⑧ 笠うち敷きて、時の移るまで涙を落とし侍りぬ。
笠を敷いて〔座り〕、時が過ぎるまで涙を流しました。


⑨ 夏草やつはものどもが夢の跡
一面に草がぼうぼうと生い茂っている。昔武士たちが立てた功名も、今では夢のようにはかなく消えってしまった。

季語=夏草  季節=夏
切れ字=や
人生のはかなさと自然の不変さの対比表現④=「つはものどもが夢の跡」と「夏草」

⑩ 卯の花に兼房[10]見ゆる白毛かな  曾良[11]
卯の花が白く咲いているのを見ると、義経の家臣の兼房が白髪をふり乱して戦った姿が浮かぶことよ。  曾良

[10] 兼房=義経の家臣、増尾十郎兼房。高齢ながら高館で奮闘し、義経の最期を見届けた。
[11] 曾良=旅に同行していた松尾芭蕉の門人。
季語=卯の花  季節=夏
切れ字=かな

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